物体の裏表から感じる印象について
本がここにあること:
本の表紙がこちらを向いているときと、表紙が向こうを向いている時
私の心が受け取る印象には明らかな差があった
そのかわり、背がこちらを向いているか小口がこちらを向いているかはほとんどもたらす印象に差はなかった
ペットボトルがここにあること:
私は観察し、表紙と言われるような側面が対になって2面あることに気づいた
サイコロでいえば1と6の関係である
そうするとなぜか、このペットボトルに対しては、
どちらを向いていてもかまわないという気がした
ノートがそこにあること:そこ:多少はなれた、腕を伸ばせる範囲内である
黒い表紙だと、なんとなく静の印象を受けた
どうしてここに出しっぱなしにしておくのか? とさえ感じた
中を開いて書きかけのページのまま置いてみた
すると、何も感じなかった
次に真っ白なページを開いて置いた
これについては、なぜか必要のない感じを受けた
予備、あらかじめ準備されているもの、
書かれるのを待つ期待感というものという印象をノートから与えられた
それがなんとなく、嫌な感じがした
『物体の裏表から感じる印象について』
元はといえば私は本を見て、
空間のどこに本があるかによって人間にとってはわずかで目に見えないものであれど
例の理科の教科書でやった「位置エネルギー」とかいう概念によれば変化があったのだろうと思い何度か高さを変えて持ち上げてみたりしたのである
本の表紙に空間の持つ力が水のように上から流れ込んでは四辺から流れ落ちていくのが見えた気がした
しかしそうして高さを変えて持ち上げるうちに、
いつのまにか受ける印象が違うと気づいて、それからは、
心に耳を澄ませるようなこの研究から、
自分の心の挙動を観察して、自分を知ろうという試みに変わった
観察しているうちに、これは万人に共通するものではないという印象を受けたからである
これは実に個人的でひとりよがりな自分自身の心の観察であり、
唯一自分が持てる客観性(とはいえ自身の範疇だが)だと感じられたからである
つまり私は端的にいうと、
ノートという無機物で能動的な動きを一切しないものからさえ、
圧力を感じるほど俗に言う『考えすぎる』タイプなので、
その相手が無機物ではなく人間であればなおさらであるということが分かったので
私個人においては有意義な実験だったといえる
(これが世の中に驚くほど何も及ぼさないとしても)