間接感受性
今日これまで、あまり話したことのない人と話をして、
年齢が近いはずなのに、こんなにも違うグラウンドにいる人なんだって、驚いた
そのときに感じた気持ちを率直に言い表すと、
自分がとてつもなく孤独で、もしかしたら、他の人が普通に甘受している幸せを
私は、知らないうちに避けて生きているのではないかということ
たとえば最近頭をかすめるのは、
他人を本当に愛したことのない私は、人生で大きな損失をしているのではないかということ
そもそも私は、
「まだ本気で愛せる相手に巡り合っていないだけの人間」なのか、
「誰が相手であろうと本気で愛することのできない人間」なのか、
それすらもわからないという状態に陥っている
多くの人が現代において、同じような思いを抱えているのではないかと思う一方で
私だけのような気もする
この問に答えが出たら、今よりも少し楽になるような気もする
今はただ、まだ巡り合っていないだけと思って、まだ見ぬ幸せ?があると思って、
可能性がどのくらいあるのかもわからない希望を信じているだけのような気がするから
もちろん、愛することは幸せだけではないことは知っているつもりだけど
やっぱり、「つもり」
物語を書く上で、他人に対する愛情は、鍵になる
だからこそ、私もその感情を知りたいのに、
私はどうしても、登場人物というフィルターを通してその気持ちを間接的に味わうことしかできない
間接民主制ならぬ間接感受性?
あまりうまくないのでニュアンスで受け取っていただくとして
ああでも、おさまりがいいからタイトルにしてしまおうか