現実と✕✕の関係を修正する
ものを作る時、それぞれに葛藤があるはず
自分はどの葛藤の下ならば耐えられるか、ただそれだけのことなのかもしれない
「現実と絵画の関係を修正する」
西村書店のピカソの本を読んだ時に、確かこんな言葉があった
これって、「絵画」じゃなくてもなんでも良いなと思った
この言葉はつまり、固定概念からの離脱を意味しているのだと思うから
写真は真実しか映さない。
そこにはフィクションも幻覚もない
(物によってはあるかもしれないけど…特に最近のスマホとか…)
レンズを通して見る世界は、本当の世界よりも残酷かもしれない
その中には流れる時間なんて存在しなくて、いつまでもそこにあり続けるから
「△△だからといって、✕✕していい(論理的)理由にはならない」
二者の間に論理的な理由、つながりはあるのか?を考えて行動すること
心を強くする秘訣の一つだと思う
もちろん「うん」100%が理想
死はパラドックスの寝床だ
自分が死ぬことと世界が終わること、この2つはどう違うのだろう? と思ってしまう
子どもがいるとまた違うのかな? これは妙な話だけど
自分の存在の終わり=世界の終わりと結び付けないためには他社の存在が必要になるのか? これは感覚的なものと論理的なもので異なっている
自分の認識できる範囲=世界?
主観⇔客観?