額縁の中から世界を見るだけ
私がダリの絵に夢中になっていた頃、よく見ていた夢がある
ある日起きたら私は、ダリの描くオブジェクトの1つになって、
額縁の中から世界を見ている
私はとある時汽車だし、あるときは足の長い動物
だけど体のほとんどは動かせなくて、ただ目だけがきょろきょろするだけ
ああ、私は表現者にはなれずに、被表現物になったんだなぁと
そんな夢を度々見るとフロイトに話したら、どんなふうに私を解釈してくれるのかな
時折誰かに「私はあなたの目にどう映ってる?」と聞きたくなる
実際に聞くこともある、だけど多くの人は言葉を濁すだけ
あとは「不器用」とか「考え過ぎるところがある」とか
実際私は「考え過ぎ」と言われるのが大嫌いなので、
そう言われるたびに軽い失望を覚えるけれど、
私が他人を観察する以上に他人は私を観察していないことも分かる上に、
観察すべき対象ではないのだと思われていることも分かる
どんな簡単な言葉でも揺るがされてしまう私の存在意義
そう思えば、私はまさに「考え過ぎ」なのかもしれないが、
私以上に考え過ぎた人たちのことをたくさん知っているつもりなので
そして私はそれを結局のところ変えたいとは思っていないので、
今日も、自分はそれに該当しないと心のなかで否定している
※2017-08-12追記
帰省する新幹線の中でふと、
「暖炉から出てくる汽車の絵はダリではないよなぁ、誰だろう、エルンストかマグリットか……」と考えて、
調べてみたらルネ・マグリットだった
「貫かれた時間」
私の記憶はあてにならないし、あんまり日常生活で頭を使っていないのがまるわかりだな