人間的営みの中で得た物質・物量的経験について
確かに考えてみれば、こんな、このくらいの小さい空間で、
何を考え、何を作り出すというの? この脳みそは
アインシュタインやピカソ、レオナルド・ダ・ヴィンチの脳や頭部が、
人よりも容量があったと言うならばまだしも
いやまず、体積は何と比例しているというのか? 体積が何を意味するのか?
体積が大きいほど、おそらく高性能であるというのは、
私が様々な人間的営みの中で得た物質・物量的な経験と価値観が、
そうであるように思い込ませているだけであり、私主体もそのように感じているだけだ
『人間的営みの中で得た物質・物量的経験について』
言葉を大事にしたいと思う
だから慎重に言葉を選ぶけれど
どうも、私の言葉の選び方は違うらしい
大学時代、アルバイトの面接に行った時に言われたのは、
私が素直に志望動機を話しているのに「難しく言おうとしないでいいのよ、もっと簡単な言葉で言って良いんだから」と
これが私にとって、今の感情を表現するのに最も適した言葉だと思うのに
どうしてそうは捉えてもらえないのだろうと思った
「楽しい」「やりたい」「ドキドキする」「キュンとする」そんな言葉が、
私のその時時の気持ちを表すと言ったら、私にとっては嘘になる
それらの汎用性の高い言葉たちはカバー力がある代わりに、
ひどく抽象的で、もっと的を絞った感情を表そうとしたら、違う言葉になる
私は未だにあの時に言われた言葉に、酸素を奪われている気がしてならない
私の言葉は、嘘なの?
私にとって嘘じゃないのに、誰かにとってそれは嘘だったり、背伸びしようとした言葉に聞こえたり
よく「他人に簡単に説明できる人が賢い」と言われるから、
ああ私はバカなんだろうなと思う
相手に合わせた説明をしようとすることってつまり、
あなたの学力や語彙力はこの程度なので、私があなたの土俵まで降りていって差し上げましょうということで、
私には他人の語彙力を図るほどのすべはないし、
12歳にわかるように話しているつもりでも、6歳にわかるような内容でしか話していないこともあると思うから
そんなことしてたら、私と言葉を交換し合う人達は
どんどんばかになっちゃうかもしれないし、私も他人にそうされたらばかになっちゃうから
とか言って飾っても、私は結局それができないだけなので、
どうしたらもっと他人に伝わり、しかも自分の感情を的確に表す言葉を選べるようになるのか、
まだまだ試行錯誤中